鲁虺日本人文搜索
输入关键词:
类目资源: 智虺堂 検索 典故 古語辞典 大辞林 日漢雙解詞典 日本傳統色 utf-8 康熙字典 汉语词典 毒鸡汤 谜语 名言 解梦 谚语 古籍溯源 异体字 大辞海 制度 语言翻译

鲁虺日本人文搜索说明

日本人文書紀。


鲁虺日本人文搜索。


推荐日本人文搜索60个。
氣長足姬尊おきながたらしひめのみこと 神功皇后じんぐうくわうごう 一、神功皇后獲神託,征熊襲  氣長足姬尊おきながたらしひめのみこと,稚日本根子彥大日日天皇わかやまとねこひこおほびびのすめらみこと之曾孫ひひこ,氣長宿禰王おきながのすくねのおほきみ之女也。母曰葛城高顙媛かづらきのたかぬかひめ。
 足仲彥仲哀天皇二年,立為皇后きさき。幼而聰明叡智,貌容壯麗。父王異焉あやしびたまふ。  九年,春二月,足仲彥たらしなかつひこ天皇崩於筑紫橿日宮つくしのかしひのみや。時皇后傷天皇不從神教而早崩,以為おもほさく:「知所祟之神たたれるかみ,欲求財寶國たからのくに。」是以命群臣まへつきみたち及百寮もものつかさ,以解罪改過つみをはらへあやまちをあらため,更造齋宮いつきのみや於小山田邑をやまだのむら。  三月壬申朔一,皇后選吉日よきひ入齋宮,親為神主かむぬし。則命武內宿禰たけうちのすくね令撫ひく琴,喚中臣烏賊津使主なかとみのいかつのおみ為審神者さには。因以千繒高繒ちはたたかはた置琴頭尾ことのかみしり,而請曰:「先日教天皇者誰神いづれのかみ也?願欲知其名。」
 逮于七日七夜なぬかななよ,乃答曰:「神風伊勢國かむかぜのいせのくに之百傳度逢縣ももづたふわたらひのあがた之拆鈴五十鈴宮さくすずいすずのみや所居神,名撞賢木嚴之御魂つきさかきいつのみたま天疎向津媛命あまざかるむかつひめのみこと焉。」  亦問之:「除是神,復有神乎?」答曰:「幡荻穗はたすすきほ出吾也,於尾田吾田節をたのあがたふし之淡郡あはのこほり所居神之有也。」  問:「亦有耶?」答曰:「於天事代於虛事代玉籤入彥嚴之事代神あめにことしろそらにことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ有之也。」
 問:「亦有耶?」答曰:「有無之不知焉いさしらず。」  於是審神者曰:「今不答而更後有言乎?」則對曰:「於日向國橘小門ひむかのくにのたちばなのをど之水底みなそこ所居,而水葉稚之出居みなはもわかやけくいでます神,名表筒男うはつつのを、中筒男なかつつのを、底筒男そこつつのを神之有也。」  問:「亦有耶?」答曰:「有無之不知焉。」遂不言且有神矣。時得神語かむごと,隨教而祭。
 然後遣吉備臣きびのおみ祖鴨別かもわけ,令擊熊襲國くまそのくに。未經浹辰,而自服焉。  且荷持田村のとりたのふれ有羽白熊鷲はしろくまわし者,【荷持,此云のとり能登利。】其為人強健つよくたけく,亦身有翼つばさ,能飛以高翔とびたかくかける。是以不從皇命おほみことのり,每略盜かすむ人民。  戊子十七,皇后欲擊熊鷲,而自橿日宮遷于松峽宮まつをのみや。時飄風つむしかぜ忽起,御笠墮風みかさふけおとされぬ。故時人號其處曰御笠みかさ也。
 辛卯廿,至層增岐野そそきの,即舉兵擊羽白熊鷲而滅之。謂左右曰:「取得熊鷲,我心則安。」故號其處曰安やす也。  丙申廿五,轉至山門縣やまとのあがた,則誅土蜘蛛つちぐも田油津媛。時田油津媛たぶらつひめ之兄夏羽なつは興軍而迎來,然聞其妹被誅而逃之。  夏四月壬寅朔甲辰三,北到火前國松浦縣ひのみちのくちのくにのまつらのあがた,而進食於玉嶋里たましまのさと小河之側。
 於是,皇后勾針為鉤ち,取粒いひぼ為餌ゑ,抽取裳縷みものいと為緡つりのいと,登河中石上,而投鉤祈之曰:「朕西欲求財國たからのくに。若有成事者,河魚飲鉤!」因以舉竿,乃獲細鱗魚あゆ。時皇后曰:「希見物也。【希見,此云めづらし梅豆邏志。】」故時人號其處曰梅豆羅國めづらのくに,今謂松浦まつら,訛也。是以其國女人每當四月上旬かみのとをか,以鉤投河中,捕年魚あゆ,於今不絕。唯男夫をのこ雖釣,以不能獲魚。  既而皇后則識神教有驗,更祭祀神祇あまつかみくにつかみ,躬欲西征,爰定神田みとしろ而佃たつくり之。時引儺河なのかは水,欲潤神田,而掘溝及于迹驚岡とどろきのをか,大磐おほいは塞之不得穿溝。皇后召武內宿禰,捧劍、鏡,令禱祈神祇,而求通溝。則當時,雷電霹靂かむとけ,蹴裂其磐,令通水。故時人號其溝曰裂田溝さくたのうなて也。  皇后還詣橿日浦かしひのうら,解髮みぐしをとき臨海曰:「吾被神祇之教,賴皇祖之靈おほみおやのみたまのふゆ,浮涉滄海あをうなはら,躬欲西征。是以今頭滌すすぐ海水。若有驗者,髮自分為兩。」即入海洗之,髮自分也。皇后便結分髮而為髻みづら,因以謂群臣曰:「夫興師動眾,國之大事。安危成敗,必在於斯。今有所征伐うつ,以事付群臣。若事不成者,罪有於群臣,是甚傷焉。吾婦女たをやめ之,加以不肖をさなし。然蹔假男貌ますらをのすがた,強起雄略ををしきはかりこと。上蒙かかぶり神祇之靈,下藉群臣之助,振兵甲いくさ而度嶮浪たかきなみ,整艫船ふね以求財土たからのくに。若事就者,群臣共有功いさをし。事不就者,吾獨有罪。既有此意,其共議之。」群臣皆曰:「皇后為天下あめのした,計所以安宗廟社稷くにいへ,且罪不及于臣下。頓首つつしみ奉詔!」
政府紙幣、改造紙幣刊 神功皇后像 福岡縣福岡市東區香椎 香椎宮
筑紫橿日宮 仲哀帝崩於橿日宮。傳帝死後,其棺椎木散以異香,遂曰香椎宮。 栗田 昔松峽宮所在
神功皇后 山車 皇后將征新羅,蹔假男貌,強起雄略。謂群臣言,成則君臣共榮,不成則己獨有罪。 京都市西京區松室山添町
月延石 月讀神社藏 神功皇后開胎,故取石插腰鎮之曰:「事竟還日,產於茲土。」其石今藏月讀神社境內。 對馬北端,上縣郡上對馬町今鰐浦
和珥津 神功皇后領軍自和珥津發,將伐新羅。蓋與鉏海水門同處。 三韓略圖
新羅、高麗、百濟,臣服日本,遂定內官家,謂作三韓。 兵庫縣神戶市兵庫區和田宮通三丁目 三石神社 神功皇后、武内宿禰、應神天皇像
山口縣下關市一之宮住吉 長門住吉神社 住吉荒魂,祠穴門山田邑
 秋九月庚午朔己卯十,令諸國:「集船舶ふね,練兵甲。」時軍卒いくさびとども難集。皇后曰:「必神心焉。」則立大三輪社おほみわのやしろ,以奉刀たち、矛ほこ矣,軍眾自聚。  於是,使吾瓮海人烏摩呂あへのあまをまろ,出於西海にしのみち,令察有國耶。還曰:「國不見也。」又遣磯鹿海人名草しかのあまなぐさ而令覩,數日還之曰:「西北いぬゐのかた有山,帶雲橫絙,蓋有國乎。」  爰卜吉日,而臨發たちたまはむ有日。時皇后親執斧鉞,令三軍みたむろのいくさ曰:「金鼓無節,旌旗錯亂,則士卒不整。貪財多欲,懷うだき私內顧,必為敵所虜。其敵少而勿輕なあなづり,敵強而無屈なおぢ。則姧暴をかししのがむ勿聽ゆるし,自服勿殺。遂戰勝者必有賞,背走者自有罪。」既而神有誨曰:「和魂にきみたま服王身おほみみ而守壽命みいのち,荒魂あらみたま為先鋒みさき而導師船みいくさぶね!【和魂,此云にきみたま珥岐瀰多摩。荒魂,此云あらみたま阿邏瀰多摩。】」即得神教而拜禮をろがみ之,因以依網吾彥男垂見よさみのあびこをたるみ為祭神主いはひのかむぬし。
 于時也 ,適當皇后之開胎うみづき。皇后則取石插さしはさみ腰,而祈之曰:「事竟還日,產於茲土ここ。」其石今在于伊都縣いとのあがた道邊。既而則撝をき荒魂為軍先鋒,請をき和魂為王船鎮しづめ。  冬十月己亥朔辛丑三,從和珥津わにつ發之。時飛廉かぜのかみ起風,陽侯うみのかみ舉浪,海中大魚悉浮扶たすく船。則大風順吹,帆舶ほつむ隨波,不勞㯭楫かぢかい,便到新羅しらき。時隨船潮浪,遠逮國中。即知,天神地衹あまつかみくにつかみ悉助歟。  新羅王こにきし於是戰戰慄慄おぢわななき,厝身無所せむすべなし。則集諸人曰:「新羅之建國以來,未嘗聞海水うしほ凌國。若天運盡之,國為海乎?」是言未訖之間,船師ふないくさ滿海,旌旗燿日,鼓吹起聲,山川悉振。新羅王遙望,以為:「非常おもひのほか之兵,將滅己國。」讋おぢ焉失志こころまとひぬ。乃今醒之曰:「吾聞,東ひむがしのかた有神國かみのくに,謂日本やまと。亦有聖王ひじりのきみ,謂天皇すめらみこと。必其國之神兵也。豈可舉兵以距乎?」即素旆しらはた而自服,素組しろきくみ以面縛,封圖籍しるしへふみた,降於王船之前。因以叩頭之曰:「從今以後,長與乾坤あめつち,伏為飼部みまかひ。其不乾船柂ふなかぢ,而春秋はるあき獻馬梳うまのはだけ及馬鞭うまのむち。復不煩いたつかず海遠,以每年貢男女之調みつき。」則重誓之曰:「非東日更出西,且除阿利那禮河ありなれがは返以之逆さかしま流,及河石昇為星辰あまつほし,而殊闕春秋之朝まゐで,怠廢梳、鞭之貢,天神地祇共討焉つみなへたまへ!」
 時或曰:「欲誅新羅王。」於是皇后曰:「初承神教,將授金銀くがねしろかね之國,又號令三軍曰:『勿殺自服。』今既獲財國,亦人自降服。殺之不祥さがなし。」乃解其縛ゆはひつな為飼部,遂入其國中,封重寶府庫たからのくら,收圖籍、文書ふみ。即以皇后所杖矛,樹於新羅王門,為後葉之印のちのよのしるし。故其矛今猶樹羅王之門也。  爰新羅王波沙寐錦はさむきむ即以微叱己知波珍干岐みしこちはとりかんき為質むかはり,仍齎金、銀、彩色うるはしきいろ及綾あやきぬ、羅うすきぬ、縑絹かとりのきぬ,載于八十艘かはら船,令從官軍。是以新羅王常以八十船之調,貢于日本國やまとのくに,其是之緣也。  於是高麗こま、百濟くだら二國王聞新羅收圖籍降於日本國,密令伺其軍勢みいくさ,則知不可勝,自來于營外いほりのそと,叩頭而款曰:「從今以後,永稱西蕃,不絕朝貢みつきたてまつる。」故因以定內官家うちみつやけ,是所謂三韓みつのからくに也。皇后從新羅還之。
 十二月戊戌朔辛亥十四,生譽田天皇ほむたのすめらみこと於筑紫。故時人號其產處うみところ曰宇瀰うみ也。  一云,足仲彥仲哀天皇居筑紫橿日宮。是有神,託沙麼縣主さばのあがたぬし祖內避高國避高松屋種うちひこくにひこまつやたね,以誨天皇曰:「御孫尊みまのみこと也若欲得寶國たからのくに耶?將現授之。」便復曰:「琴將來以進于皇后。」則隨神言かみのみこと,而皇后撫ひき琴。於是神託皇后以誨之曰:「今御孫尊所望之國,譬如鹿角ししのつの,以無實國むなしくに也。其今御孫尊所御之船及穴戶直踐立あなとのあたひほむたち所貢之水田こなた,名大田おほた為幣みてぐら,能祭我者,則如美女之睩をとめのまよびき而金、銀多之眼炎國まかかやくくに以授御孫尊。」時天皇對神曰:「其雖神何謾語あざむき耶?何處將有國?且朕所乘船既奉於神,朕乘曷いづれ船?然未知誰神,願欲知其名。」時神稱其名曰:「表筒雄うはつつのを、中筒雄なかつつのを、底筒雄そこつつのを。」如是稱三神名,且重曰:「吾名向匱男聞襲大歷五御魂速狹騰尊むかひつをもおそほふいつのみたまはやさあがりのみこと也。」時天皇謂皇后曰:「聞惡事ききにくきこと之言坐婦人たわやめ乎?何言速狹騰はやさあがり也!」於是神謂天皇曰:「汝王いましみこと如是不信,必不得其國。唯今皇后懷妊之子はらませるみこ,蓋有獲歟。」  是夜,天皇忽發病みやまひおこり以崩之かむあがりましぬ。然後皇后隨神教而祭。則皇后為男束裝おのこのよそひ征新羅。時神導之,由是隨船浪之,遠及于新羅國中。於是新羅王宇流助富利智干うるそほりちか參迎,跪之取王船,即叩頭曰:「臣自今以後,於日本國所居神御子,為內官家,無絕朝貢。」
 一云,禽獲新羅王詣于海邊,拔王臏筋あはたこのすぢ,令匍匐はらばはしむ石上,俄而斬之埋沙中。則留一人為新羅宰しらきのみこともち而還之。然後新羅王妻不知埋夫屍之地,獨有誘をこつる宰之情。乃誂あとらへ宰曰:「汝當令識埋王屍之處,必敦報之。且吾為汝妻。」於是宰信誘言,密告埋屍之處。則王妻與國人共議之殺宰,更出王屍葬はぶる於他處。  時取宰屍埋于王墓土底,以舉王櫬ひとき,窆おろしすゑ其上曰:「尊卑次第たふとくいやしきつぎて,固當如此!」於是天皇神功皇后聞之,重發震忿,大起軍眾,欲頓ひたぶる滅新羅。是以軍船滿海而詣之。是時新羅國人悉懼,不知所如。則相集共議之,殺王妻以謝罪つみをうべなひき。  於是從軍神表筒男、中筒男、底筒男三神誨をしへ皇后曰:「我荒魂令祭於穴門あなと山田邑也。」時穴門直あなとのあたひ之祖踐立ほむたち、津守連つもりのむらじ之祖田裳見宿禰たもみのすくね啟于皇后曰:「神欲居之地,必宜奉定。」則以踐立,為祭荒魂之神主。仍祠やしろ立於穴門山田邑やまだのむら。
三、征韓凱旋,麛坂、忍熊謀反  爰伐新羅之明年辛巳,春二月,皇后領群卿まへつきみたち及百寮,移于穴門豐浦宮とゆらのみや。即收天皇之喪みもがり,從海路うみつぢ以向京。  時麛坂王かごさかのみこ、忍熊王おしくまのみこ聞天皇崩,亦皇后西征,并皇子新生,而密謀之曰:「今皇后有子,群臣皆從焉。必共議之立幼主いとけなきみこ。吾等何以兄從弟乎?」乃詳いつはり為天皇仲哀作陵,詣播磨はりま興山陵みさざき於赤石あかし。仍編船絙わたし于淡路嶋あはぢのしま,運其嶋石而造之。則每人令取兵,而待皇后。於是,犬上君いぬかみのきみ祖倉見別くらみわけ與吉師きし祖五十狹茅宿禰いさちのすくね,共隸于麛坂王。因以為將軍いくさのきみ,令興東國あづまのくに兵。
分页:首页 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 上一页 下一页 尾页